28日に投開票された衆院トリプル補選では、全国屈指の「自民王国」だった島根で、自民党が敗れた。竹下登元首相や青木幹雄元官房長官ら政界を代表する実力者が輩出するなど、そもそも自民王国たり得たのはなぜか。今後、どう変わっていくのか。同県出雲市出身で、島根大法文学部の板垣貴志・准教授(45)=日本近現代史=に聞いた。

 ――島根はなぜ自民王国になったのか。

 明治維新以降の近代化の過程で、地域間で格差が広がり、「遅れた地域」になったことが要因の一つと思われる。「裏日本」という言葉があったように、社会資本が太平洋側に集中し、島根を含む日本海側の地域ではインフラ整備などが遅れた。特に島根は「取り残された地域」の代表格とされ、地元に貢献できる有力政治家の輩出に力を注ぐ環境下にあった。こうした傾向は同じように地理的に不利な状況に置かれた北陸地域などでも共通する。

 衆院への小選挙区制の導入以降、全国で唯一、自民党が議席を独占してきたのが島根県だ。今回の補選の敗北は、有力議員の競い合いで自民が各地で強固な地盤を誇った中選挙区時代のモデルが、島根という最強の自民王国でも崩壊したことを意味する。小選挙区導入から丸30年。個々の政治家が地方議員らを従えて戦う手法は機能せず、党の看板に左右されるようになった。そうした選挙のあり方が、いよいよ島根に及んだ。選挙制度など歴史的背景を踏まえ、検証していく。

 ――そうした地域の政治意識はどのように培われてきたか。

 遅れるインフラ整備を補完した…

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